December 05, 2014

地震予測?!

「地震は予測できる。」
と思っていた。
東京時代、地震予知に興味があり、ある程度の方法で大まかな予知ができたことがある。
主に、雲と電波状況で判断してました。
今回は?
こんな震源が近い地震なのに。。。
実はあったのです。
地震の起こる1−2週間前から震度1にも満たない微振動がたびたび感じられていたのです。
遠くの地震ならば同じ微振動でも周期の長い震動になりますが、これは、非常に細かい微振動なので、震源が近いことはわかっていました。
ただ、実績のある「雲」は地形的に空が狭く、かつ、観測の時間がないため未確認。
電波状況は、元々悪い地域なため、観測の方法が確立していませんでした。
ただ、3日ほど前、日中の日の光が「黄色っぽい」ということがありました。
過去にこれで確認できた地震もあったのだけど、それは12時間以内におこっていたため、見過ごされました。
もう少し注意深くこの二つの現象を結びつけられれば、ある程度の警戒もできたのかもしれません。
残念です。

細かい微振動をたびたび感じたら要注意してください。

こんな記事を見つけました。
こういうことを大きく事前に発表できる(ハズレても文句を言わない)土壌が欲しいですね。
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December 02, 2014

パン焼き再開!

お待たせしました!
地震の後片付けもほぼ終わり、パン焼きを再開しました!
残念ながら薪焚き天然石石窯は壊れて使用不能ですが、来夏再度組み直して使えるようにするつもりです。ちょっと先ですが、お楽しみに。

余震もほとんど無くなり、地震があったことを忘れそうですが、あのときの印象はいつでも鮮明に思い出せます。
普段我々を風雨や雪などから守ってくれる頼もしく居心地の良い「家」が
この災害のときだけは別物になるのです。
まるで、我々に襲いかかってくるようです。
信じていた人に完全に裏切られたような感じでしょうか。二重人格者の正反対の別人を見たような気がします。

「そなえよつねに」。忘れないようにします。


November 28, 2014

地震その後 11/28

断水していた市営水道が今晩復旧しました。
ほぼ一週間断水していた訳ですが、さぞかし不便をしていたことだろうと思いきや、誰に聞きてもさほど不便をしていない様子。
なぜか。
かつて公共水道は当然なかった頃から、山の清水を引いてきて使っていた経緯があり、現在も使っている世帯もあれば使ってない世帯もありますが、使っていなくてもある程度の復旧は簡単に出来ている様子。
また、それが難しくても近所でそれが使えるところまでいけば役場の給水場まで行ったり、給水車を待つ必要もなく何とかなっていたということらしい。
かくいうソノマノでも両方の水が使えるようになっていたため、トイレの水をバケツで流す以外はたいして苦労はしていませんでした。

究極的には住むところさえあれば多少の災害には強いと言うのはこの様な山村ならではと言えると思います。
今回「村」の四方に通じた道の三方が通行止めになり、危うく鬼無里全体が孤立ということでしたが(今でも復旧してません)、
もしこうなっても一ヶ月や二ヶ月は生きていくには困らないと思います。
食料はたいていの土蔵に米は備蓄してあるし、冬に備えて野菜類の備蓄もしっかりしてますので。
ただ、暖房に石油を使う家庭が多いのが困りますが、これからの時期。
あ、飯炊きに電気やガス使っていたらこれも難しいか。
一応、ソノマノでは電気、ガス、石油がなくても暖房や調理は出来るようになっています。
そのかわり、薪の用意は一年中しなければなりませんが。

November 27, 2014

地震その後 11/7(2)

ソノマノはの虫倉山山麓にありますが、虫倉山には古くから修験者が集って(?)いたようです。(今はいませんが)
そんな経緯からかこの山には「虫倉神社」が地域ごとに七社もあります。
そのなかの一つが我が地域にありますが、これがまた希有な立地で、よくもいまぁ!という山の上にあります。(くわしくはここ)
集落から山を登って小一時間くらいのところにあるが、これでも里宮でさらに山奥に奥社がある。
お祭りは、この里宮まで登って行うのだが、最近は軽トラックの便乗して登ります。
こんなお宮がこの地震で崩壊!
やりきれません。地区で一生懸命維持してきた社屋が一瞬にして・・・

今後、これをどうするか、年寄りの多い四十数軒の氏子だけでこれを再建は難しいのが現状。
幸い、本殿だけは奇跡的に無傷でしたので、これをさらに里に引き下ろすという事を検討するとなりました。

こんな立地の立派なお宮がソコに無くなるのはとても寂しいのですが、、、残念です。

地震その後 11/27

とにかく土壁のほとんどにそれなりの被害がありました。
ほとんどが表の漆喰が剥がれるだけでしたが、お勝手の食器棚の置いてあった裏の壁は違いました。
どうせ剥がれているのだろうからと、食器棚をどけてみると、ドサッ。
あわれ、壁がぱっくり剥がれ、外が見えます。



驚きましたが、よく見ると他の壁と構造が何か違います。
木で障子のような格子ができています。
そうです。ここはかつて窓だったようです。
そこに無理矢理土を盛って壁にしていたため、もろく簡単に崩れてしまったと考えられます。
おもしろいですねー。こういう発見たまりません!
折角だから窓として復活も考えましたが、ここには、この場所用にとだいぶ前から用意してあった、長野市街の廃校となった小学校の調理室で使っていた棚を置くので、隠れてしまうため塞ぐことに。
断熱材と板で塞ぎ、念願の食器棚の取り替えができました。
いつかやらなければと思い続け数ヶ月、地震のおかげです。
こんな調子で、おおそうじも兼ねながらの作業はつづきます。